癒しの森の音楽祭(2001年8月11日)
参加者と実行委員の声
●慶二郎
今回 「癒しの森の音楽祭 」に参加し、ただ聞く、見るコンサートではなく、一緒に創るコンサートを実感しました。通りすがりの人々、期待して集まった人々、趣旨に賛同してあつまった人々、そして演奏者の方々、が一体となって音楽を楽しみ一緒に演奏することができた様に思われます。すじ書きのない感動を戴き感謝しております。
鏡池でのコンサートは人間が自然の一部であり、その中で鳥や風の音にまざって音を出すというイメージを体験できて、とてもすばらしいものでした。小さなオカリナの音も自然の音と混ざって、よりすばらしいものに聞こえました。アーティストの方々と一体となってコンサートを作りあげるという体験を通じて、よりすばらしいものと感じることが出来ました。昨年も来ましたが、今年はより円熟されており、来年もぜひ来たいと思います。●明子
今回ハープのかたが楽譜を広げていらっしゃって、ふと気づけば今までのアーティストの方々は楽譜にとらわれず奏でて下さり、それになれきってしまっていました。去年とはまた違ったよさがありました。雨雲が広がりながらも美しい歌声に横に流れていき、木々はやわらかく揺れ、美しい蝶が舞い、すべてを優しい気持ちで楽しむことができました。アーティストの方々が皆様楽しんでいらっしゃるのが何よりも我々を楽しませてくれます。今年6月に私自身入院、手術をしました。心拍があり確かに命があるにも関わらず助けてあげることができなかった小さな小さな命。その命に何かしてあげたくて、でも何も出来ずにただ健康でいることの素晴らしさ、ありがたさをかみしめる日々です。今回アベマリアの美しい歌声は何よりも何よりも、私と失われた小さな命を結びつけてくれました。●佐知子 自然、音楽の調和、そして人との和
今はまだ良くわかりませんが、これから以後私の音楽に対する感じ方が、今迄とは多分変わるのではないかという予感がしています。自然に宇宙に空に草木花鳥人に、すべてにありがとうございます。鏡池での自然のコンサート、たいこ・笛・ハープ・ソプラノ・オカリナそして自然の音が(風・とりの声)が山々に木々に草花にそして池の水面にもひびいて、自然と一体になった音楽がそこに集った人々の心にもとどいてひびいて、聞きにきていた人々もうれしげに楽器をとって手をたたいておどっているすがたは、本当にそこに集ったすべての物・人が一体になって音楽祭をしているコンサートを創っているという感じでした。
小さな子供達が一緒に手をたたいたり踊ったりしている姿がなんともかわいくてとってもとっても印象的でした。●富子
今回何も解らずに辻さんにお誘いを受けて参加しました。日頃仕事、他に追いかけられて生活している中でやはり本当の休養というものが人間には必要なのだと思います。今回一番興味をもったのは音楽祭ということでいろいろな楽器に出逢えるということでした。そして尚且つそれを触れることが出来たのは嬉しい限りです。
(思ってもみなかった)タイコの素晴らしさは感動でした。良か、悪いかとかいう問題ではなく最高!です。そしてソプラノその他、“世界中に届け!そして皆が幸せに!”という祈りの様なものを感じました。そして掃除活動・・・当たり前のことなのに今の世の中では特別のようで悲しいです。このような場所に一人でも多く、特に子供達の参加を願っております。いやな世の中で心が洗われた日でした。ありがとう!●真理
戸隠・鏡池でのコンサート、ということでぜひ参加してみたいと思って来ました。思った以上、想像できる範囲を超えて、すばらしいコンサートでした。アーティストの方たちは”人にきかせる”というような意識を超越し、自然の偉大さの中に謙虚に、そして自然の命の一つとしての自分を最大限に輝かせ、かなしいくらいに美しく素晴らしい演奏をして下さいました。聞いている私たちも、マイクや様々な機械音を排し、直接的な生の音をきくことができました。耳にひびくのではなく、心にまでひびく力強いのびやかな音楽でした。
自然の中の私たち、そして命ということを謙虚に深く感じ、自分の生活を見直すチャンスを与えてもらったことに、心から感謝します。来年も、そしてもっと長く、いろいろなところで、こんな機会が与えられることを願っています。●茂哉
癒しの森の音楽祭のめざす理念、理想、目的、考え方、及びその実践活動にはいつもやたら感動させられる。すばらしい人々の集まりがこの恵まれた大自然の中で開かれ、悩みを解き、心をいやされ、大きな感動を持ち帰り、それを周囲の人々に伝えること、そうした素晴らしい流れが今年も行われた。
電気もない、舞台装置もない、照明もない、機械もない中で古来から伝わる太鼓、笛、ハープ、歌など森や湖に素晴らしい音と響きを伝える素朴な音楽、森も湖も木や石も小鳥や動物達も一体となった音楽は原点に帰って音楽で味わう場である。現代の人工的な大装置、大音響、大観衆という種類の音楽もあって良いとは思うが、21世紀に政治改革や構造改革ばかりでなく、人間性を取り戻すため、すべての分野でこうした活動が益々各地で発展していくことを望みたい。●典子
また、今年この白樺林の中を訪れることができ感謝です。うぐいすに迎えられ、ずっとうぐいすや小鳥たちと共に澄んだ空気の中で初めて見たり聞いたりする楽器の音楽祭一自然を舞台にし、私達聴く側も演奏される方々も一体となり、耳を澄ましている内に太古のひびきに結びついていることを思いました。詩編(聖書)139に”わたしは母の胎内に作られるより前から存在している”というような言葉がありましたが、わたしたち一人ひとりは宇宙の大いなる力(神)の御計画をもとにずっとずっと昔から造られていて、今たまたまこの世に生かされていることを思います。すべて大きな存在。造ってくださった方々に感謝と賛美を捧げたいと思います。●宏美
天に通じたのか、雨の予報もはずれて、涼しい風が吹き、戸隠の山も雲の間に顔を見せ、青い空、鳥の鳴き声、草村には小花と、小さな虫達がはね本当に、自然も人間も一体になって、電気を使わない生の音楽を体感しました。太古の音を思い出させる、大和太鼓、小太鼓、竹笛の風のような音、オカリナのひそやかな音もどこまでも伝わっていく。ハープも川のせせらぎのよう。マイクを使わない、声、アベマリア、サイモン&ガーファンクルのスカボロフェア、手話を交え、みんなで歌った 「ふるさと 」各々楽器をもって打ち鳴らし、踊りまわったフィナーレ、あっという間の2時間、見まわせば、どこからともなく大勢の人々が家族連れ、アベックで参加してました。この世の天口・・・でした。ゴミも一つも残ってませんでした。出来るのです。その気持ちが一つになればと思いました。ありがとうございます。
●典子
はじめての体験でしたが、『来てよかった』というのが実感です。”癒しの森の音楽祭”ってどんなのか、想像していたよりはるかに充実したものでした。また心が洗われるという言葉がぴったりとするものでもありました。アーティストの皆さんはあまり線蜜な打ち合わせもないのにとても息のあった、うまく間の取れた演奏で、音楽と音楽のつながりを退屈させることなく流れていきました。自然との対話の中でしたが天候も運よく晴れでしたし、風のささやき、小鳥のさえずりなども共演してくれて、マイク等の電気的なものを使わず楽器の持つダイナミクス(強弱)をそのままの姿で演奏するというものでした。自然を見直すよい機会となりました。この輪もっともっと大きく全国へ波紋にいくことを祈っています。ありがとうごさいました。●昌樹
1.都会ではぜったい聴けない。自然の中での演奏会で今まで味わったことのない感動を得た。笛の声、太鼓の音が森の中からわきだしてくる感覚。
2.すぐそばを横切っている道路を走る車をうまく整理し音楽のじゃまにならない様にしたスタッフに感謝。
3.一般の人も、ゴミ拾いに協力してくれたし、特に演奏後には、楽器の片付けに、手を借してくれたのも、音楽に感動したためであろう。
4.毎年、開催されることを願う。●初美
山、森、林、緑、湖、空、雲、風、そして小鳥の声、恵まれた大自然の中で聴いた太鼓、笛、ハープ、オカリナ、歌、こんなにも自然で素晴らしいものかと体中で感動致しました。笛の音が心に浸し込んで自然に涙がこぼれて来ました。澄み切った歌声に心が洗われました。大小の太鼓の音が体の底から響いて来て歓びに変わりました。オカリナ、ハープの音にうっとりと心洗われる思いでした。人との思いが音楽を通して自然と調和し、人々の心を癒しました。この想いが、このコンサートが来年、否もっともっと未来へと引き継がれ、もっと多くの人達の心を癒してくれることを望みます。●由香子
今回、初めて参加させていただきました。小学5年の娘と共に、まずは清掃活動でしたが、驚きの連続でした。ゴミは、ハンカチ、タオル、キャンディの袋、そして、神社の前。何とビールビン、日本酒のビン、カン、プラスティックのパッケージ。神社の前で、何を行なっていたのかわかりますが、すべて土にうまりかけていた状態でした。土が、自然がまた土に大地に帰そうとしている姿でした。カンからはミミズが、アリが出てきます。そして金属はぼろぼろになり、ビンの鋭いガラスの隅はまるくまるくなり、地球に優しい姿に変化していました。自分が恥ずかしくなりました。自分は今まで気使っていなかったことに、清掃活動を通しこの年齢になって気付くとは。しかしこれが、けっこう楽しくなって化石を掘っているような、土器を集めているような、これは参加して本当に良かったと思います。不思議と身体もよく動き、地球に良いことを喜んでいるようです。音楽祭も、とても自然と一体になれ、すばらしく、何か忘れてしまった、でも知っていることと感じ、今後は自分にできることから、いろいろ始められそうです。ありがとうごさいました。感謝。●れな
今日の音楽祭はすごくおもしろかったです。しかし、ゴミがたくさん落ちていました。音楽祭の前にゴミ拾いをしました。天命稲荷神社にいった時はすごくおどろきました。なんとビンやカンなどがたくさんうまっていたのです。ゴミを拾っている時はどうしてこんなにたくさんうまっているのかと思いました。ビンはほとんどお酒がはいったビンでした。たぶん、神社で宴会がおこわれ、その時のゴミだと思います。ビンは土にうまっていましたので、ずいぶん前のものだと思いました。カンには穴があいていて、アリがたくさん出て来ました。たぶんアリ達がそこを巣穴にしていたと思います。ゴミ拾いをして、自分もゴミを落とさないようにしようと思いました。みんなもゴミを落とさなかったら、こんなにきたなくならなかったと思います。ゴミは何年も地球に残ってってしまうので、ゴミは絶対に落とさないようにしようと思いました。●耕三
音楽は人と人をつなぐ力がある。音楽は人と自然をつなぐ力がある。地に響く太鼓の音はもとより、とっても小さくかすかなカリンバの響きも、はなたれた時間、人の意識をつなげる力があると思います。最初、笛や太古はともかく、人の声や元々小さい音のカリンバはとても大勢の人の前ではしんどいのでは?と思っていたのですが、まったくのトンチンカン。聞きたい、聞こう、という意識があれば風の音、小鳥のさえずりとともに、心に届きます。今まで聞こえなかったものが聞こえるようになるという貴重な体験でした。最後に演奏者や歌手の方が観客のところにきて、みんなで 「ぼくらはみんな生きている!!− 」と歌っておどったのが、とても痛快でした。子供の時からずっと忘れていた歌いながら体全体で表現する喜び思い出したです。確かに今回のイベントは、大規模に行なうことはできませんが、その分あちこち身近なところで、身近に自然とひとをつなげてやっていけるのでは?新しい音楽活動?の形かもしれません。というかPAがなかった時代は、皆こうやって集っていたのですよね。●美佐子
都会に住んでいて多くのアーティストの音楽を聴きに行くことはもう何年もない。スピーカーからの声、音、会場が大きくなるとモニタ−映像を見ることにもなり、同じ方向性に向かないと取り残される様な集団の空間を感じてしまう。時にはもっと気軽な自分の感性で楽しめる音楽祭ホールから出て自然の中で・・・と思っていたので心ワクワクです。まず音♪や歌声♪が身体に空に!!気がつくとはだしになりできるだけ自然の一部になりたいと願い楽しんでいる自分に出会う。はだしだって安心、音楽祭が始まる前に皆んなで鏡池やこの場所を掃除したのだから!最後に皆んなで楽器を持って(私はツツミ太鼓)一緒に♪音を出す。楽しいから祭り気分で思わず全身で踊り出す。こんな心と身体が一緒に安心できるときにはすごーく良いですね。ありがとうございました。来年も楽しみです。●まる
政治、経済、環境、エネルギーetcなど、問題、多難なこの時代、その解決の一口は命は素晴らしく美しいということ。そんな事を、実感できる音楽祭。世界に広がっていく事を、お祈りします。ありがとう!●小林 政高
「癒しの森の音楽祭 」に和太鼓奏者として参加させていただき心より感謝申し上げます。自然界の生物の一員としてあの神聖なる場所で演奏できるとは、音楽家としてもう一人の人間としても、最上の幸せでありました。今回のテーマは自然を愛し共生していく、新しくもあり、又、音楽の原点ともいえる音楽祭でした。現在この様なコンサートが他にあるでしょうか。テクノロジーが悪いとは言いませんが、その力にたよりきっている音楽家には、ある意味でこの音楽祭は大きな挑戦であると思います。又、聞く側にとっても本当の音を聴くためには、忘れかけていた努力もいることでしょう。しかしあの場にいた人達はおそらく、ごく自然に大自然の音と共にその身をゆだね、大地の一部になったことでしょう。アーティストも参加者も鳥も風も木も一体となる本当に言葉のは表現出来ない体験でした。実行委員会の皆様、そして許可を出された行政官庁の方々本当にありがとうごさいました。この動きが今後も広がっていくことを願っています。