今までの人生で求めてきたこと 「無条件の愛や悟りの境地を求めた」
無条件の愛や悟りの境地を求めた。理由は私が両親からの愛を受けられなかったから。両親は両親なりに考え、私に教育を授けてくれた。しかし、その教育で私は喜ぶことが、できず、いい成績やいい結果で喜んでいたのは両親だった。そこに利己的な愛、限定的な愛を感じてしまった。
また、社会に対しても同じように感じていた。会社が自社の利益追求に走り、環境を破壊し、人の心を無視しているように見えた。そこに愛や悟りがあるようには思えず、世界に調和がもたらされるとは到底思えなかった。
学生時代にはすでにそう考えていたので、就職は考えず、まずは一年間ボランティアにそういう仕事を求めた。
すべてが楽しかった。そのまま老人ホームに就職できたが、あえてしなかった。理由は2つ。ひとつは自分がやってみたいことを30歳まですべてやってしまい、30歳になったらその中で一番自分に合った仕事をしようと考えていたから。もう1つは、人の役に立つ仕事というだけでなく、私は愛や悟りという感覚を求めていて、福祉であろうと農業であろうとその感覚を満たしてくれなかったからだ。
また、私にとって非常に大きな存在だったのが祖母で、その祖母が「苦労は買ってでもしなさい」と言っていた。数えるほどしか会ったことがない祖母だが、祖母の生き方は私に大きな影響を与えている。
結局、その後いくつもの仕事をしているが、すべて自分の限界を超えるために自分にとってハードルの高いものを選んだ。自己を深めるために、始める事をためらうものばかりを選んだ。
具体的には、一年間ボランティアの後にもボランティアで知的障害のある方々と共同生活で農業をしていた。このときは、知的障害のある方々と暮らすことができるのかどうか、共同生活や障害を持った方に対する自分の意識の壁が自分にあるのかどうか、そこを見てみたかったが、やってみると何の問題もなかった。
肉体的なチャレンジはここに来るために仕事を三つかけもちしたことと、学生時代に牧場で働いた事。ここに来る前は働きすぎてケガが治らなくなった。自分が生き方を迷ってモンモンとしていたこともあり、すべての傷口が膿んだ。学生時代一ヶ月だが牧場でも働いた。牧場では一週間で歯ブラシさえ持てなくなった。朝五時から夜九時まで続く肉体労働で、両腕が腱鞘炎になったからだ。今でもあのときほど肉体に負担をかけたことはなかったと思う。これらのことで体の限界まで自分を動かすことを求めていた。
断食も一週間した。断食に求めていたものは体に溜まった老廃物の除去。一週間で肉体的、精神的になにか変調をきたすかと思ったがどうということはなかった。
サラリーマンも同じだ。30歳まで経験したことのない世界。常識が必要で、経済関係のお金を扱う仕事。先物という世間で嫌われる職業の厳しい営業。ここでも自己を深めるということを第一目標におきながら、現実の成績をあげることにチャレンジした。今までやったことの中心には、「すべては自分の心の映し鏡」ということから自分を知ること、ということがある。
無意識的に求めていたこともあると思う。例えば、人間関係の甘い部分。恋愛に代表される依存に満ちたあいまいな関係性は私にとって、とても重要だった。両親に甘える事ができなかったせいか、男性女性問わず、べたっとした関係をつくろうとする。そこには自分だけをみていてほしいという自己中心的な心の動きがあったと思う。また、自分自身の満たされない部分が、社会に、そして人間の心に目を向けさせたかもしれない。ただ、こういった理想は現実から私の足を浮かせていくことにもなったと思う。どこか現実離れしていて、周りの人に理解できない行動も多かったと思う。
自分の価値観の合わない人をどこか見下し、切り捨てていたように思う。それがどういう価値観や生き方をしていようと、その人の存在そのものがありがたいものであると分からせてくれたのが別れた妻だ。価値観や生き方が違うからと離婚したが、別居当日、そういうことが些細なことで、今までいっしょにいられたことに感謝できた。この感謝は余りにも深く、自分が他人をただ認める、受け入れるということができた瞬間だったと思う。人を価値観や思い込みで向き合うのではなくただその存在を受け入れる。ひとのそれぞれの違いを認め、相手に耳を傾け感じるというコミュニケーションのもう1つの方向性を初めて意識できた。理想にばかり目を向けていた私が、現実に目を向け地に足を付け始めた瞬間でもあったと思う。
こういった学びは、私が意図的にチャレンジした仕事とは明らかに異なる。私は無意識に人の愛を、家族の暖かさに求めていたのだ。意識的には宇宙の愛や悟りというものを求めていた。しかし、無意識かでは私は人の愛を求めていたのだと思う。現代の会社が利益ばかり追求しダメだと断定したように、私は身の回りの人に気付きの足りないダメな人間だと断定していたと思う。しかし、会社の長所を知り、別れた妻に感謝できたとき、私は私たちの今を認めるところからスタートできるようになったと思う。
無意識が求めたもの、それななんでもない日常なのかもしれない。私がいて、あなたがいる。生活は日々続いてゆく。そこに存在することへの感謝がある。特別なものがなくても、ただ存在することに感謝できる。
そして、今求めているものは、そういう日常の中に自己を深め聖なるものを含めてゆく事なのかもしれないと思っている。
なぜワーキングスタディを志したのか
「自分の意識のフォーカスを当てる所をハッキリさせたい」
今までワークスタディをさせて頂いたのも、今回も同じことがひとつあります。それは「自分を知る」ということです。これだけが目的といっても過言ではないと思います。特に今回は昨年までやっていたヒーリングの事務所を占めたこともあって、これから何をやって生きていけば良いのかわからなくなっていることもありました。
「何をやったら」というとつい仕事の種類や水輪のスタッフというような外側の条件につい目が行きがちでした。ただ、今は逆に「何をやっても誰といても」自分がどうあるか?ブレずにいられるかという所から出発してゆこうと思っています。
ブレずにいるというのは当たり前として、もう一つ。水輪が「人類の意識の進化」に意識のフォーカスを当てているように、私がどこに意識のフォーカスを当てて行くのかそれも深めてゆこうと思います。
ブレない自分、そして意識のフォーカスを当てる所をもっとハッキリさせてゆくこと、これが今回ワークスタディを志した主な理由です。
2003.9
大阪府/30代/男性
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