これまでの人生で求めてきたこと 「基本的な関係に対する信頼感」
基本的な関係に対する信頼感。月並みですが。大切な人。大切なはずの人。おかしいでしょう?相手を、相手の気持ちや言葉を、関係を信じられない。好意をもつと近寄れません。自分の気持ちも、信じられなくなって。壊す。
苦しいです。人といること、関係をもつこと。不思議です。友達がいること 私と時間を共有してくれること。優しいから余計、罪悪感。信じられない自分が嫌い。
それでも、苦しいのは求めている気持ちがあるからで。諦めきれないからで。だから、また私は誰かと居て 好きになって 不安になって…。きっとこれからもまた苦しいけれど、その痛みは、私がまだ諦めていない証だから。それがあるうちは大切にしたい。疑ったりしながらでも、いつか、優しさに応えられる様に、私はこれからも求めていきたいと思います。
なぜワーキングスタディーを志したか?
「生活を変えたい」
“生活を変えたい”。私を動かしたのはその思いでした。変えたい、という現在の生活、それは心身ともに怠惰で淀んだもので、このまま家で暮らしていては腐り切って、二度と浮かんでこられない、そんな、危機感ともつかない腐食に晒されていました。破格で利用できる宿を調べ、そこに居つこうかとも考えました.
水輪を知ったのは、そんな穏やかな不快感が充満した日常の中でした。母との会話の流れでふと、耳にしたように思います。その後、“このままでは良くない”と意見が一致し、改めて勧められたのです。「長野に、掃除や料理の手伝いをしておいてもらえるところがある」、という話しでした。「そういう生活の基本に心を込めるの、とても」、と。
食事は摂ります。作りもします。掃除も、します。でも、そこにはこころはありません。ただこなす作業には、心はありません。それだけを繰り返す日々を、生きている、と誰にいえますか?生活を、大切に、出来る場所。それが一番の魅力です。
正直、具体的なワークや生活について知ったのは申し込みの電話をしながらで、水輪の理念を知ったのはだいぶ後になってからでした。だから、というのはおかしいけれど真の自己やスピリチュアルな分野に関しては今一つ、意欲を持てていない、というのも本音です。基本に根付いたマイナスを払うことを期待は出来なくて。期待、楽観、希望?未来?もやの向こうには見えなくて。
昨年、入院、休学を経て、今の生活へと入りました。でも、例え私が死んだ魚の目をしていても、それは病気をしたせいではないと、知っています。それは表面的なことだから。残念ながら両親はそう受け取れないらしく、“元気になること”を望んでいるようですが…この滞在を機に両親のことも、見て、いくことが出来たらとも思います。
これから私がワーク&スタディへ参加を決めた背景の外郭です。前向きな力が弱い今、水輪にそぐわない人なのかもしれません。雪の中で、何かに気付けますように。
2005.1
東京都/10代/女性
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