日常生活における気づき 〜ワークシートから〜
T・N
1月10日

 対面の座禅がおもしろかった(興味深い)人とあの距離で向き合い、目を見つめ合うことは、初めての体験だった。
 相手の動き、表情、息づかいで動くのは、私の内にある何かだった。相手に変化がある度に、私の内の心は反応して、ゆれるのだった。個というものがよく見えてきた。ゆれるのは私の内にあるものなんだ、外にはない。ハンマーは外にあるが、鐘は、私の内にあるんだ。外のものが、私なのではない刺激は伝わるが、動くのは他ではなく、私の内にある。外のものは私ではない。

 でも、外のものの、「ゆらぎ 響き」がなければ、私もないだろう。空、大地、水,火、木、犬、花、草、空気、他者、それらが全くなかったら、私という響きも存在できないだろう。すべては、お互いがあって存在している響きあって、有るのだと感じた。
 だから、自分を有らしめている、周りすべての物に、敬意をもつ必要があるのだろう。個であるが、周りのものすべてがある意味分身なのだ。他を愛することは、そういう意味で、自分を愛することなのだ。

 座禅のおもしろさを初めて感じた。いかに普段、他者の響きに影響されているのかよくわかった。

1月13日

 まだ、自分の中に恐れがある。新たな段階に来ているようだ。愛や慈しみを学ぶことは、むずかしいんだな。よけいなものを落として、生を喜びたい。野に咲く花のようになりたい。命よ、輝いてほしい。歓喜になりたい。
 ちょっと頑張りすぎているのかもしれない。善き、エネルギーよ、どうかお導き下さい。心配の念のクセを転換しないと「いのち」への信頼を前面に出さないとこのまま行ってしまうだろう。ポジティブにポジティブに。すべては必要があって生まれてきてる。

1月23日

 調和を生み出すことが望み、内にも外にも、その時その時に調和を自ら生み出す。
 出会い、知り、それに応じて行為をし、調和を生み出す。
 一瞬、一瞬を輝き生きる。闇や未完全さを引き受けて、だからこそ精進することを忘れずに、日々生きる。一つ、一つに内、外に調和をめざす。

3月28日

 人は、一番願うことをできないとするいいわけを無意識に作っているように感じる。なにか理由をつけてそこに挑戦しないような在り方をしてしまう。
 いける所までいくべきなのだ、たおれるまで歩き続けるべきなのだ。やらない言い訳は、10万でも100万でもつくれる。なぜなのだろう、そこをもう少し見つめたい。

5月7日

 完ぺきな人はいない。私もあなたも。与え尽くしの愛は、とてもむずかしい。親しい人、近い人にいつも見返りを求めてしまう。誰しも認められたいと思っている。さげずまれても愛を与えられる人になりたい。

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