2004年水輪通信46号より          

母と子の往復書簡

 
水輪での仕事と生活を通して一人の人間が人間として自立していくためにはどういう成長のプロセスを通るのか。人が生きるとはどういう事か、人生の意味と価値を問い続けながら「生きる」ことを真剣に考える一人の青年の思いを母と子の書簡からーー依存・無気力・無関心・無感動という時代に生きる我々もこの心の交流から深く学ぶところがあるのではないだろうか。
 
 

母から息子への手紙

 今日は久々にちょっと長い手紙を書きます。

 4月に長野に行って半年が過ぎましたね。大学を出て一年半。大学に出した時はまさか今のような生活をするとは考えた事もありませんでした。卒業したらどこかに勤めて、着実に人生を歩んでいく。そう思っていました。世の中は無常。だから刻々と変化する。だから私の家族も時間の変化と共に肉体も精神も一日一日変わり続けて行く。昨日水輪通信が届いていました。

 内容を読む内にやっぱり薫の心を聞いてみたい、そう思いました。長野に行ってからは無理をしているのではないかと心配です。薫が長野での生活を自分の中でどういう風に位置付けているか知りたいと思います。しばらく、精神的な修養と思って頑張っているかどうかでその後どうしたいと思っているのか?

 勉強の為にそういう期間、我慢するというのであれば、理解できるが、ずっとそういう生き方を続けるのであれば、お母さんは考えた方が良いと思う。無論薫も考えていると思うので、半年たった時点での薫の考えを聞かせて下さい。年齢的には大人になった薫や隼ですが、私はいつまでも、死ぬまで親でありたいと思っています。

 お父さんが中国に出張していたのでお母さんは多分こんなにといっても十日間ですが、離れていたのは初めてです。人間の幸せは家族と共に暮らす日々の生活の中にある。そのことを認識しました。今社会的に起こっている悲惨な事件は家族が崩れていっている事にあると思います。

 話が横道にそれましたが薫と隼にもそういった家族と共に暮らす幸せを作っていって欲しいと思います。そういうことを子供に伝える事が私達親の務めである、そう思っています。今は薫も若いのでまだ理解できないかもしれませんがそういうことを頭の中にちゃんと入れといて下さい。それでは主旨は伝わったと思います。

 今日からすこし寒くなりました。くれぐれも体には気をつけて、事故にも気をつけて生活をして下さい。こちらは大丈夫です。                 母より

 

息子から母への手紙

 お手紙ありがとう。お母さんの気持を改めて明確に知ることができたことを嬉しく思います。そして、このお母さんの気持を知って、強く感じた事は、今のぼくとお母さんの生き方、生きようという方向性が大きく違うという事です。

 お母さんは、『人間の幸せは家族と共に暮らす日々の生活の中にある』と思っているのですね。ぼくもお母さんと20年近く共に暮らしてきたので、その実感はよくわかるつもりです。安らかで、平和で、温かくて…。そのような家庭だったと思います。

 ただ、お母さんも言うようにこの世、この宇宙は『無常』。つねに変化、絶えず変化し続けています。過去に執着するのは苦しみを生みます。今家族4人とも、健康で『生』の期間にありますが、必ず『死』は訪れます。

 「家族と共に暮らす」中に幸せがあるならば、この状態はお母さん以外の3人が同様にそう思い、「生」の期間にあれば実現しますが、思いが変化し家族から出たり、「死」が訪れればお母さんは幸せではなくなってしまいます。熊本のおばあさんを始め世の中では家族と共に暮らせない、暮らしていない人々がたくさんいます。もし仮にお母さんが言う「人間の幸せは家族と共に暮らす日々の中にある」ということが真実ならば、そのたくさんの人々はみな不幸だということになるのですが、それは悲しすぎるし、やはりそうではないように思います。

 では、最近明確になったぼくが思う幸せについて、お伝えしたいと思います。それは、すべて生きとし生けるものは一つだという実感を持てることだと思います。そして自我への執着、死への恐怖をどんどん小さくし、超えて行く中での深い安心を得る事、これが人間の歩む道、進化の道だと思っています。ここには、特定の個人の心、行動に依存するようなことは無用です。行動に依存し執着すると、それが得られないと苦しみます。このような依存と執着は宇宙の真理ではないものなのでしょう。宇宙の流れからズレてしまうから苦しむのでしょう。

 全てが一つだという実感が少しでもあるぼくは、現代の苦しみ------それは、大きく言えば、戦争、環境問題、南北格差の問題、社会の日常で言えば、憎しみ、憎悪、依存、対立、執着などと言えると思いますが------を解いていけるような仕事・生き方をしたいと思っているのです。

 なぜそのように思うようになったかと言いますと、今までのぼくの人生の中で、どうしようもない苦しみを味わってきたからです。

 ぼくの一番大きな苦しみは、お母さんへの依存でした。お母さんに認められたい、評価されたい、ほめてもらいたい、また見放されたくないという恐怖もあったように思います。その結果、自分の生き方・やりたいことがお母さんに理解されなかったり、批判されたりすると、なんともいえない憤り、やるせない気持になりました。自暴自棄になり、やけ酒をひとりで飲んだ事もありました。あの時の苦しみは、今でも思い出すと込み上げてくるものがあります。

 もう一つの苦しみは恋人への依存からくる苦しみでした。無意識的に依存していたので、フラれた時は、生きる目的を失ったように、もぬけのからみたいになり、その度に病気になって実家に帰ってきたのはお母さんも知っている通りです.。そして、そのような苦しみを超えなきゃならんと思い、座禅・瞑想をしたり、ワークショップに参加したりしてきました。そして、このような依存が行動の大元になっていることに気が付きました。そして、この恐怖心を満たし続けることは不可能だと知りました。

 お母さんとぼくは別人格だし、生きてきた時代も、人間関係も、見てきた世界も違うのです。そして、何物にも依存することなしに真に自立していかなければ苦しみはなくならないし、ぼくのかねてからのテーマである「環境問題の本質的な解決」はないと思っているのです。

 この水輪は、人類1人1人の真の自立を理念に活動している所です。もちろん僕自身も含めスタッフ1人1人の自立から始まり、参加者の自立のためという事で活動をしています。このような所は世界中探しても、なかなかあるものではないと思います。また、この真に自立に向けて指導して下さる師もなかなかいません。ぼくはこの半年水輪でやってきて、ここでの仕事は、自分の命を賭けてもやりたいと思える仕事なのです。ですからプライベートな時間がまとまってなくてもまったく苦痛はありません。今やっていることに胸を張って、誇りを持ってやっています。

 仕事に命を賭けるなんていうとお母さんは疑問に感じるかもしれません。でも、これにはある出来事があったからそう思うようになったのです。お母さんには話したでしょうか?あれは2000年、3年前の夏だったと思います。環境問題に関するミーティングを淡路島で行い、その後メンバーと海で泳ぎました。そのとき僕は調子に乗って沖に出すぎて、波が強くなり戻って行けなくなってしまいました。「もうだめだ、今から助けを呼んでも間に合わない。ああ、もう死ぬんだ。」と思いました。

 結果としては必死で泳いでいたので、沈んで行く途中で足が届く所までは戻れていました。かろうじて届くつま先でジャンプしながらなんとか岸に戻ることができました。この時から、ぼくは「死」を時々意識するようになりました。明日死んでも納得いく今日を生きるようにしよう。と意識するようになりました。そして今も、妥協しない納得いく今を命をかけて生きようとお思っているのです。

 このように今水輪で働かせて、学ばせてもらっているぼくは、今までのようにしばしば電話で話したり、年2回以上帰省したりできなくなるでしょう。

 ぼくが祈る事は、これをきっかけにお母さんも子に依存することなく、真の自立と幸せを手に入れてもらいたいということです。これを実現するには並大抵の苦しみではないと思います。しかしぼくはあえて今までの親子関係を終える決意をしました。これは今までのぼくの精一杯の愛の決断です。

 お母さんには込み上げてくる感謝し尽くせない思いがあるから、これからのお母さんの人生がもっともっと輝いたものであって欲しい、愛に満ちたものであって欲しいと思っています。

 お母さんは依存ではなく「心配・思いやり」だと思うかもしれません。そう理解しても構いません。その「心配・思いやり」からぼくもまず自立したいので、25歳になったぼくへどうか心配はしないで下さい。

 そしてこれからのお母さんの新しい人生を今まで30年近く共に歩んできたよきパートナーであるお父さんと共に、ぜひ目標は高く持ち、大切に歩んで下さい。

 お母さんに、そして生きとし生けるものに真の幸せ、安心が訪れますように。  薫

 

母より息子へ

 早速手紙をありがとう。真剣に誠実に返事を書いてくれて嬉しく思います。強い決意と揺るぎのない意志がそこに感じられもう親の傘下を抜け出た薫の成長を見る思いがしました。ホッと安心もし、誇らしくもまぶしく、淋しくもあり一抹の不安もある交錯した想いの中で子育てが終わったことを実感しました。あとは薫が持って生まれたDNAと生命力に今後を委ねて軌跡を見守ることにします。親子の生き方の違いは昔も今もあった様子でなぜなのか、私なりに考えてみますと、母は母系的な物の考えをしてどうしても守ろうとする気持ちが強いので保守的になる。子は守る物はなく新しいものを求めて飛び立とうとする。そこに新旧の入り乱れがあり世の中が少しずつ変化していくのでしょう。そうでなければ世は停滞し滅びてしまう。そう思えば私たちも流れの一つに過ぎません。思うように伸びていって下さい。では元気で暮らして下さい。また会える日を楽しみにしています。          母より

 

 山下薫 プロフィル  京都大学総合人間学部卒。環境NGO活

動を通し、環境問題の本質的な解決のためには、一人一人の価値観・生き方が変わる必要があることを強く感じる。その方法として、禅・瞑想をベースにした学びに関心を持つ。ハワイ小田まゆみ氏の下で修行、京都妙心寺、岐阜昌禅寺で禅を、京都瑞穂町でヴィパッサナー瞑想を学ぶ。水輪に出会い、理念・活動に共感し、水輪で学び、仕事をさせて頂くことになる。現在、水輪スタッフ、ワーク&

 スタディーセッション担当。心身と意識について学んでいる。

 

 

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