盛和塾とは
盛和塾は、もともと京都の若手経営者が京セラ(株)の稲盛名誉会長から人としての生き方[人生哲学]、経営者としての考え方[経営哲学]を学ぼうと1983年に集まった自主勉強会に端を発しています。真剣に学ぼうとする塾生とそれに答えようとする稲盛塾長が互いに魂の火花を散らす人生道場となっています。また塾生同士の切磋琢磨の場として、全国各地の盛和塾に多くの若手経営者の皆さんが熱心に集まっておられます。 稲盛塾長は心ある企業経営者こそが明日の日本を支えるとの信念に基づき、ボランティア活動としての盛和塾に熱心に取り組んでおられます。 |
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水輪と盛和塾
1998年2月、大阪で会社経営をされている水輪会員でもあり、大阪盛和塾生の渕上智信氏(株式会社シャンバラ 代表取締役会長)より、「盛和塾という経営者の塾の長野支部を立ち上げませんか」という話が水輪代表理事の塩沢みどりにありました。 |
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が一変。その時、語られた″経営者のあるべき姿″が、まさに水輪の理念と一致していました。 「ほんとうの経営者は公共心を開いていかなければいれない」 この言葉を聞いた時、塩沢は大企業のトップである人の口から「公共心」というキーワードが飛び出したことに新鮮な驚きを感じ、経営者をひとくくりに捉えていたことを感じました。 それから、矢崎会長が師と仰ぐ京セラ株式会社名誉会長で盛和塾長の稲盛和夫氏の著書を読み、講演テープを視聴し、 「心を高めて経営を伸ばしていくのではなく、心を高める経営を伸ばしていく」 経営の内容そのものが人の心を高めていく考えに強く共感し、本気になって盛和塾と関わり、長野の経営者達の意識を高めることを手伝いたいという理由から、盛和塾長野立ち上げの発起人を引き受けました。 1999年3月、盛和塾長野が開塾し、塩沢みどりはその代表世話人となり、事務局を水輪に設置しました。盛和塾に関する事務はスタッフの木賊萌が担当。 |
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