物質主義という問題
企業でも、社会でも、それを成立せしめているもの、その根幹にあるものは理念です。目に見えない理念が、企業や社会の形態、あるいは一つの商品となってこの世に物質となって現象しています。
たとえば、添加物のいっぱい入った食品も、薬漬けの病院も、そのような現象として現れる以前に、何らかの理念があり、その理念がこのような形になって現れているわけです。
それでは、現代社会に共通している理念、哲学とはどんなものでしょうか。資本主義、社会主義という社会体制の問題よりも、心が不在である物質主義、プラグマティズムというものの考え方ではないでしょうか。事象の捉え方の問題です。目に見えるもの、五感で認識できるものしか認めない、という考え方です。科学も、社会常識もそれらは信用できて、思想やイデオロギーとは呼べないもののように見えますが、やはり一つの考え方の上に成り立っているものです。
物質主義とは、そこに存在するモノはモノでしかない、そしてモノしか認めない、という考え方です。この発想により、とりあえず、目に見える結果が良ければよい、となります。見た目が良ければよい、美味しいと感じればよい、痛みを抑えられればよいなどと言うその場限りのことだけが重要で、因果関係、つまりそういうことを続けていった結果どうなるか、ということはあまり重要でないという発想です。
物質主義の誤りとは、心という存在を全く無視しているところにあります。心は目には見えません。環境を汚したとしても、地球が言葉で文句を言うわけではありません。恐怖に泣き叫ぶ生き物を殺して、肉を取ることも、人をだましてお金を奪うことも可能です。心というものを無視して、物質的に潤うことは現象的にはいくらでも可能であったのです。心よりもモノが優先されて来たわけです。
けれども心というものは目には見えないだけで、実在するものです。また、人間や動物だけでなく、植物や地球にも全て心(意識)があります。そして、意識は物質化(現象化)します。長年に渡って潜在下に蓄積されてきた意識は、力を持ち、やがては表に現れるのです。物言わぬ者たちの意識や願いは、いつの日か必ずこの世に現れます。
人間が、その場限りの利益を考え、全体を顧みないということを繰り返してきたならば、最終的にはそのことによるネガティブ性は必ずそれを生み出したもののもとに返ってきます。
|