2005年4月〜5月 ワーキングスタディー月間
国際アントロポゾフィー国際医学ゼミナール前後
ワーキングスタディー参加
Kさん(女性/東京都)
4月23日
昨日までいた世界はまるで別の次元に来てしまったような驚きでいっぱいの初日だった。はじめて来た場所はじめて会う人達なのに一緒にごはんを食べ、おふろに入るなんてとても不思議な感覚だ。4人家族で育った私はこのような大人数で食卓を囲むのがとてつもなく新鮮である。まだ少しお客様気分が抜けないで食べはじめた時、みどり先生が私にいろいろな質問をされてみんなの前で答える事になった。みんな静かに食べながら私の話を聞いている。私は大人数の席で自分に注目が集まるのが苦手だ。(自意識過剰なのかもしれない)急にこのようなシチュエーションがやってきてとまどいながらも、食卓の雰囲気はとても優しく、みどり先生が本当に私に興味と関心をもって、まるでカウンセラーのように聞いてくださっているのを感じたので心の内を語る事ができた。これがホームページ書かれていた「シェアリング」なのだろうか?食べながらそれがはじまっていたようなので驚いた。そしてスタッフの自己紹介が始まった。それは単なる初対面のあいさつではなく、なぜこの水輪に来たのか、ここで何を得たかを話してくれた。ここの人達はなんて正直に真剣に自分の心の中を話す事ができるのだろうと思った。
次の質問で私は、「生きがい」を見つけたいと答えた。すると先生はスタッフに何をしている時生きがい感じるかと意見を求めた。一人一人が本当にはっきりと自分の考えを持っていた。答えを持っていた。それは、それぞれが自身の体験から得たものだった。なんという説得力だろう。私は今まで「天職」や「生きがい」が自分の外にあって、それを運よく見つけたり、一生懸命探さないと得る事ができないと思っていた。みんなの話を聞くとそうじゃない事が分かった。それは自分の内側にあるのだ。それは困難を乗り越えた時に自分の中から生まれてくる。みんなそんなような体験をしていた。
私は逃げてきた。仕事がつまらなくなると、人間関係でつまずくととにかく逃げる、辞める、縁を切る、遠くへ行くという事ばかりしていた。困難を「乗り越えた」という経験がない。困難に耐えるような人生をよしとしなかったのだ。
スタッフの人達は、日常生活の中に生きがいを見出している。私は「おもしろそうな仕事」をとっかえひっかえして日常生活―家事、そうじ、料理などーは全部親まかせにしてきた。これでは本当に地に足をつけて自分で生きているとは言えない。お金を稼いで物を消費しているだけの人生になってしまう。その悪循環を断ち切って、新しい生き方を学びたい、体験したい、そう思ってここに来た。いろいろな事がありすぎて驚いた初日だったが今日だけでも本当にたくさんの気づきを得られたと思う。
4月24日
今日からいよいよ実際のワークに入った。朝、みどり先生が「そうじをする事(空間をきれいにする事)」は自分の体のエーテル体をきれいにする事であり、家と体は関連している」というような事をおっしゃった。午前中、水屋の清掃をまかされたのでその事を心にとめながらそうじをしてみた。「この床を自分の体だと思って磨こう!」と思いつつ磨いた。(本当は何も考えず、無心でやらなければならないのかもしれないが・・・)お寺や神社などは常に掃き清められているが、自分もそういう空間で生活したいと強く思った。
母屋のボイラー室のそうじの時、南さんがバケツをふきながら「茶道や華道で道具を大切に扱うのと同じように、私達はそうじのバケツも大切に扱わなければならない。バケツだからといって汚くしておいていいものではない。そして、ぞうきんはすり切れるまで大切に使い、なくしたら見つかるまで探す。」と話してくれた。目からうろこが落ちる思いだった。そうじという仕事、そうじ用具という物それを差別していない考え方だと思った。そうじは汚い仕事できればやりたくない、他の人にやらせたいと思うのがあたりまえだと思っていた。そうじはつまらない、そうじは最低の仕事とこれまで思っていた。でも今日の体験を通じてそうじとは物や空間を丁寧に大切に美しく使う事を心がけ、それを保つため、ひいては自分の身体や環境を清らかに保つために行う儀式のようなものかもしれないという新しい視点が生まれた。そうじをどう感じるかは本当に自分の心次第なのだろう。
4月25日
今朝、皆の前で自分のワークシートが読まれてとても恥ずかしかった。たった2日しかやっていない私の「思った事」は5年も6年も「実践している」人達の前では机上の空論ぽく聞こえたのではないだろうか。
読んでいただいただけでも充分なのに皆にフィードバックしてもらうとなるとさらに恥ずかしい。やはり「あとは実践ですね」という意見をたくさんいただいた。自分でも本当にそうだと思う。私は頭でっかちで、常に頭の中が目まぐるしく動いていて、頭の中ですべてが完結してしまう事が多い。その気づきを毎日の生活でどう動かすか、実現させるかが私の今後の課題であり、そのために水輪という場に参加しているのだ。今日はここに来てから一番長くさおりちゃんが起きているのが見られた。みんなのさおりちゃんに対するケアには、何という言葉で表現したらいいのか言葉が見つからない。「奉仕」だろうか?いや、それを越えた何かを感じる。特にさおりちゃんの担当である理恵さんはすごいと思う。りえさんはいつも静かにさおりちゃんを見守っているがいざとなるとすごい早さでサポートに回っている。ここまで自分以外の人のために何かができるということがあるだろうかと私には思える。普通の人には何でもない呼吸する事、食べる事、歩く事、話す事・・・これらをすべてサポートする事は生きる事をサポートしているという事、命を支えるという事、誰かの命を支えるという根源的な事を教えてくれる存在、それがさおりちゃん。自らは、私から見れば困難な肉体に魂を宿して、でもそれは私達に何かを教えるということのために選んできた事なのだろうか。
もしさおりちゃんの事を本で読んだだけならここまでの感想だったかもしれない。でも私は幸運にも自分の目で本当の状況を知る事ができた。とても特別な事がここには起きているが、それは日常になっている。毎日の生活がある。それはどこの家庭とも全く変わらない。お父さんとお母さんと仲間がいて、楽しく笑える毎日がある。日常の中に奇蹟がある。そんな感じだ。そして自分も、毎日誰かに支えられて生きてきたのではないか。そうでなかったらここまで成長できなかった。普通の毎日に感謝できるようになりたい。思っているだけ、書いているだけじゃなくて、本当に本当に実践できるようになりたい。なれるかな?
4月26日・4月27日
だんだんセミナーの日が近づいてきた。昨日の夜のミーティングではかなり忙しくなりそうで、ちょっと不安になった。しかし、今日部屋の飾りつけやそうじをして、できあがった「水輪」「水織音」は初めて来た日とは全く違って、イキイキと美しい波動が出ていると感じた。明るい日差しに照らされた水織音の廊下は空気がとても澄んでいてすがすがしい。夕子さんが一生懸命飾ったコケ玉は一つ一つ個性的で「私達の出番よ!」とよろこんでいるみたい。私は玄関を磨いた。初めの2日間は自分のためにそうじをしていて、そうじの間は自分の心がどんな風に感じるかそればかり考えていた。しかし今日はこのそうじはお客さんのためにやっているという意識というか、使命というか、プレッシャーを感じつつやっていた。だんだん自分が「宿の人」になっていく感じ。お客さんは、私がここに来て数日という事などつゆ知らず、「水輪のスタッフ」として見るのだ。そして私が磨いた玄関を通ったり、私がそうじしたトイレを使ったり、一生懸命拭いた窓ガラスから景色を見たりするのだ。お客さんを迎える状態に生まれ変わった建物達の私は妙に愛着を感じる。そりゃあ数10人の人達によってたかって磨かれた建物だから何かが違わないはずはない!「愛されている建物」なんてちょっとうらやましい。
4月28日・4月29日
昨日、厨房の補助に初めて入った。片付けの時間に行ったが、あまりの忙しさにパンクになった。忙しい事よりも、みさ子さんの神経が刃物のように鋭くなっていて、その場にいるだけで切りつけられそうな雰囲気にびっくりしてしまった。それだけ本気を出して、真剣にやっているのだろう。私はそんなに何かを真剣に命をかけてやった事はないので、どういう心境なのかまだ理解に至らない。ここのスタッフの人達は本当にここでの経験から得た確固とした信念を持っている。だから人に厳しくなれる。
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